インドのビジネスでの重要な場所を解説します

 グルガオンのDLF サイバーシティーにあるゲートウェイタワー「ぼろきれから富へ」のサクセスストーリーでもあります。
DLFサイバーシティーは、インドのグルガオンにある企業エリアです。Alok Sharma on unsplash

前回のブログでは、インドでビジネスを行う場合に、どこにいなければならないかについて見てきました。今回は各都市とビジネスについてもう少し詳しくお話します。前回のブログを読まれていない方はそちらもご覧ください。

ニューデリー・グルガオン New Delhi / Gurgaon

ニューデリーはインドの首都です。政治の中心地であり、インドの中心でもあります。デリーという連邦直轄領(National Capital Territory of Delhi)中に、ニューデリーという都市があります。デリーの面積は東京23区の約2倍。通信事業者から自動車メーカー、銀行にいたるまで、多様で、経験豊富な人材が揃っています。

インドに住む約9,500人の日本人のうち、半数以上の5,500人(約58%)がニューデリーとその周辺に住んでいます。これには、グルガオン、ファリダバード (Faridabad)、ノイダ (Noida)、ニムラナ (Neemrana)、およびデリーから車で3時間以内のすべての地域が含まれます。

グルガオンは、インドのビジネスで日増しに重要な場所になっています。デリーとグルガオンは隣接していて、約30kmしか離れていません。東京と千葉、あるいは大阪と神戸の関係をイメージです。二つはデリーのメトロレール(鉄道)でつながっています。デリーに近いということは、企業が政治的意思決定者にアクセスできることを意味します。現在では世界最大のアウトソーシング企業のハブで、この地域で50万人の新しい雇用が創出されています。インドは現在、世界のITアウトソーシング業界で50%以上のマーケットシェアを持っております。

1990年代、グローバル企業がインドの数千人規模のコールセンターのオフィスを探していたとき、グルガオンが候補となっていました。近くのファリダバードなどの町も大きくなりましたが、ある決定によってグルガオンはグローバル企業にとって最も重要な場所となりました。インドの不動産会社DLF (Delhi Land & Finance)は、当時ゼネラルエレクトリック(GE)のCEOであったジャック・ウェルチ氏にグルガオンに施設を作るようアピール。その結果、GEは1997年に米国企業としてはじめてインドにソフトウェア開発をアウトソースしました。当時、GEは世界で最も業績がよく、称賛されていました。したがって、GEにならって、他のトップ企業もインドに事務所を設立し、グルガオンをその場所として選びました。

グルガオンといえば、最も成功した日本企業のインド進出事例であるスズキもこの地域から始まりました。スズキは1982年にグルガオンでマルチ・ウドヨグ(Maruti Udyog)と提携しました。また、インドのヒーローグループ(Hero Group)と本田技研工業の合弁会社も、グルガオンの近くで始まりました。今や世界最大級の二輪車会社であり、最も成功した合弁会社のひとつでもあります。1985年、同社はハリヤナ州のダルヘラ(Dharuhera)の工場で商業生産を開始しました。ダルヘラはグルガオンから約一時間のところにある工業団地です。ヒーローモトコープ(Hero Motocorp)とHMSIは現在、別々の事業体として成功しています

ニムラナ Neemrana

ラジャスタン州のニムラナは、デリーから約3時間の場所にあります。そこには最も成功した最初の日本の工業団地があります。445ヘクタール、土地価格 4,500ルピー/㎡(99年リース)以上の土地が日本企業専用となっています。トヨタ自動車、ダイキン工業、日立製作所、不二越の軸受ユニット、その他多くの日本企業がここを拠点としています。

ニムラナはインドビジネスに携わる日本の方にもよく知られており、日本企業にとって進出の条件が整っています。JETROの支援もあり、インドの他の日本の工業団地の良いモデルケースとなっています。よって、よく研究することが大切です。一方、適切な計画と地方自治体の支援があれば、このような工業団地をどこでも作ることができるということも強調させてください。

グジャラート州・マンダル日本工業工業団地 ~ 現在の日本企業の工場建設への関心 Japan Industrial Park in Mandal, Amedabad

ニムラナの日本工業団地の成功を受けて、日本政府はナレンドラ・モディ(Narendera Modi)政権と協力し、スズキの鈴木修氏の支援のもと、グジャラート州にマンダル日本工業団地を開発しました。スズキ、ホンダ、TOTOを含む50以上の企業がグジャラート州に進出しています。

ちなみに、グジャラートはアルコールが販売されていない「ドライス​​テート (Dry state: 禁酒の州)」です。(ホテルや特定のレストランでは飲むことができます。近隣の州からもアルコールが入手できるので、心配ありません)

グジャラートへの移転は、ハリヤナ州のスズキの工場で起こったストライキがきっかけだと思っています。モディ氏はグジャラート州の首長であり、その後インドの首相となりました。したがって、モディ氏の背景と首相になったタイミングがこの決定につながりました。この移転は、政治的な理由によるものだと言えます。一方、デリー・ムンバイ間産業大動脈構想(DMIC*)の接続にも関係している可能性があります。私の考えでは、ムンバイ・プネエリアまたはバンガロール・チェンナイエリアがより重要なビジネスエリアです。

グジャラート州のスラト (Surat) はムンバイとつながっていて、ダイヤモンドの研磨とカッティングで世界一、ラージコート (Rajkot)は部品製造で知られています。アーメダバード (Ahmedabad)は布地と医薬品で有名で、優れた大学と都市計画でも知られています。そして今、BJP政府の推進によって、多くの日本企業はグジャラートを工場の建設場所として考えています。

*デリー・ムンバイ間産業大動脈構想(DMIC: Delhi Mumbai Industrial Corridor Project)
デリーとムンバイ間約1,500kmに貨物専用鉄道を敷設し、この沿線地域に工業団地や物流基地等をインフラを集中整備する日印共同のプロジェクト。2006年日本の提案で開始。経済産業省とインド商工省の管轄。鉄道敷設は円借款を活用、インフラ整備は民間投資による。総事業費は10兆円(900億ドル)ともいわれている。

ムンバイ・プネ Mumbai / Pune

ムンバイは金融、広告、メディア、消費財など多くの産業にとって重要な地域であり、デリーと同じ機能を果たしています。このエリアにはプネが含まれ、インドに住む日本人全体の約15% (約1,400人) が住んでいます。インドの重要な経済ハブで、工場における雇用の10%とインドの対外貿易の40%を占めています。証券取引所(BSE)、多くの雇用を提供する映画産業のボリウッド、航空宇宙、光学工学、医学研究、コンピューター・電子機器、造船、再生可能エネルギー産業の拠点が存在します。インドの多数の企業(インドステイト銀行 (State Bank of India)、タタグループ (Tata Group)、ゴドレイジ (Godrej)、リライアンスグループ (Reliance Group)を含む)の本社があります。ムンバイ・プネエリアはインドでビジネスの最優先の場所と見なすことができます。

ムンバイからプネまでの距離はわずか150kmで、車で2.5時間です。プネは、自動車、自動化、ロボット工学、情報技術、および医療用医薬品にとって重要な場所です。工学分野の人材が多く、約1,000人のドイツ人が駐在員としてプネに住んでいるため、多くのドイツの自動車会社が拠点を置いています。数年前までは、プネからフランクフルトへの直行便もありました。

ムンバイには港があり、非常に重要な貿易ハブとなっています。したがって、この地域へのアクセスまたはこの地域からのアクセスは非常に重要です。

ムンバイがあるマハラシュトラ州ではスパ日本企業専用工業団地を現在計画中です。

バンガロール Bangalore・Bengaluru

バンガロールはインドのシリコンバレーで、バイオテクノロジー、工作機械、研究開発本部など、多くの主要産業があります。インドの日本人の約13% (約1,200人) が住んでいます。

今日、バンガロールには、バー、エンジニア、起業家の3つが豊富にそろっています。これらにより、他のどこよりも刺激的で、若く、エキサイティングな街となっています。交通状況は他の都市と同様に悪いですが、成長と発展を続けています。航路によって世界の主要都市と密接につながっています。ITアウトソーシング、ソフトウェア開発、およびインターネットテクノロジーによって、バンガロールはシリコンバレーと同じくらいテクノロジーの世界では重要な場所となりました。

バンガロールは、コグニザント (Cognizant)、テキサス・インストルメンツ (Texas Instruments (TI))、ウィプロ (Wipro)、マイクロソフト (Microsoft)、SAP、アクセンチュア (Accenture)などのIT企業が軒を連ね、アマゾン (Amazon)やウーバー (Uber)などのグローバル大企業のオフィスもあります。テクノロジーの大手企業はすべてバンガロールにあったため、インドのIT企業インフォシス(Infosys)は本社をプネからバンガロールに移転したほどです。開発によって企業の移転が進みました。人が増え、生活費も上昇しました。同じようなダイナミクスとエコシステムを持つ他の都市も、それぞれの価値を訴えることにより急速に成長しています。ハイデラバード (Hyderabad)もそれらの都市の1つです。

バンガロールは、プネや日本の京都によく似た文教地区です。多くの企業が研究開発部門の拠点を置いています。 シリコンバレーと同じように科学的発見や新技術開発、イノベーションのためのエコシステムがあります。こういう環境によりますます多くの才能がバンガロールに集まります。

トヨタは市内中心部のUBシティにオフィスを構え、工場はバンガロールから1時間離れたビダディ (Bidadi)工業団地にあります。ちなみにUBシティはインドのビールでおなじみKingfisherのUnited Breweries Groupのプロジェクトです。そのビルのある「Vittal Mallya通り」はその創業者の名前です。

チェンナイ Chennai

チェンナイは南部の都市で、バンガロールと同じくらい重要です。人口が多く、しばしばインドのデトロイトと呼ばれています。空港や海港へのアクセスにより、東南アジアと密接につながっていて、工業製品の非常に重要な貿易ハブとなっています。興味深いのは、6,000人弱の韓国人が住んでいることです。サムスン、LG、現代自動車、その他の韓国企業がインドへの参入の投資先としてチェンナイを選びました。日本人は全体の約12%(約1,140人)がこのエリアに住んでいます。

チェンナイは常にちょっと別の地域として見られています。そこの人々はヒンディー語をほとんど話せず(ヒンディー語と英語はインドのビジネスの主要言語です)、バンガロールほど国際的ではありませんでした(バンガロールとプネに軍隊が定住したため、より多様で国際的になりました)。それでも、チェンナイはあらゆる面で強力で独立しており、独自の産業と教育施設があります。ただし、チェンナイの第一言語はタミル語で、第二言語は、ヒンディー語ではなく英語です。人々は非常に識字率が高く、穏やかで勤勉であることが知られています。したがって、チェンナイへの投資も増加しています。

バンガロールやチェンナイなどの南部の人々は、北部インドと違って、派手さが少なく、忍耐強く落ち着いていて、地に足がついている傾向があると言えます。トヨタがバンガロールの郊外に投資した理由の1つは、人々の性格面によるものと言えます。また、韓国人がチェンナイを選んだのは、彼らが彼らの経営スタイルと落ち着いた人々との親和性を見出したからと仮定することもできます。もちろん、港へのアクセスも主要なコンポーネントの輸出入のための理由であったかもしれませんが、人々の性格面はますます重要な要素となっているようです。

コルカタ Kolkata

最後に、コルカタです。この地域は芸術で有名です。一方、東部の主要なビジネス地域ですが、政治的な問題のため、他の都市のように成長していません。 インドの大手会社タタ (Tata) が最初に乗用車のタタ・ナノ (Tata Nano) を開発したとき、西ベンガルのシングール (Singur) を主要工場として選びました。この決定によりこの地域が発展し、シングール工場は多くの雇用機会を生み出す予定でした。しかしながら、論争と政情不安のため、シングール工場は最終的にキャンセルされ、生産はプネに移されました。それでも、鉄鋼の街として知られるジャムシェドプール (Jamshedpur)は、コルカタから280kmまたは車で5.5時間です。したがって、鉄鋼業や建設機械に携わる企業にとって、この地域は重要なエリアとなる可能性があります。この地域に住む日本人の数は1%(約238人)と極めて少人数です。

ジェトロのインドの日本工業団地の紹介資料です。とても役に立つと思います。ぜひご一読ください。

2019年4月16日 ジェトロ インド日本企業専用工業団地のご案内

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