インド西部の大都市ムンバイにはダッバーワーラー(Dabbawala)と呼ばれるユニークな弁当の配達サービスがあります。これは、毎朝、配達人が顧客の家庭をまわって弁当を集め、その勤務先へ届けるというもので、家庭で作った食事をオフィスに届けるために発展しました。はじまったのは1890年。なんと130年もの歴史があります。
背景:インドでは家で作った食事のニーズがある
インドでは家庭で作った食事に対するニーズがあります。日本人の方にはインド人は皆同じに見えるかもしれませんが、広大な国土には民族、宗教、文化の異なる人々が住んでいて、食事に対する要求がそれぞれ異なるからです。
ムンバイは大都市ゆえ、インド各地から人々が集まってきます。牛肉を食べないヒンズー教徒、豚肉に触れないイスラム教徒にはじまり、肉を食べない菜食主義者(ベジタリアン, ベジ、Vegetarian) とその反対の非菜食主義者(ノンベジタリアン, ノンベジ, Non-vegetarian)の区別は基本。「ノンベジ」でも、肉類は鳥肉やラム肉をどちらも食べる人、いずれかしか食べない人、卵だけしか、魚だけしか食べないという人もいます。こういった背景があるのでインドのレストラン、オフィスの食堂の食事は誰でも食べれるように「ベジ」です。ちなみに「ベジ」でも、玉ねぎ、じゃがいも、にんにくなどの根菜を食べない厳格なジェーン教徒もいます。
では、食べ物に決まりがある人は外食すればいいのではないか、と思いますよね。でも、外食はお金がかかりますし、オフィスの食堂の食事は質が悪いか好みではないことも多いのです。そもそも、普通のレストランでは「ベジ」以上の細かい要求には応えることができません。食べ物は宗教と厳格な家族倫理に基づいているので、軽く扱うことができません。こういうわけで自宅で作った食事に対する需要があるのです。
では、なぜ自分で弁当を持っていかないのか?その理由は通勤にあります。ムンバイは人口1300万人。ムンバイ島とサーシュティー島に位置します。ニューヨークのマンハッタン島のイメージに近いでしょうか。やはり南部の半島の先の方に都市中心部があります。多くの人は北部や西部の郊外に住んでいて、自宅から勤務先までは日本と同じように鉄道を利用して通勤します。鉄道網が発達していて、通勤時にはとても混雑します。混雑した列車では汁物のある弁当を持ち運ぶことが難しいのです。また、バイクやスクーターなどで通勤する人も少なくありません。ここでも、車両は予測不能に動きますので、汁物のがある弁当を運ぶのは困難です。人々はは昼食を美味しく保ちながらも鮮度を保ちたいので、ダッバワラのサービスに頼っています。
ちなみに、異なる種類の食事、例えばムスリムの食事は、ノンベジなどと一緒にして運ぶことはできません。これがダッバーワラーの業務をさらに複雑します。ダッバーワーラーはそのことを念頭に弁当を取り扱います。だから、人々はダッバーワラーを使うのです。
インドのランチ
ターリー (Thali)
タリーはインドの典型的なランチです。カレー(豆カレーやダルスープと野菜のカレー)、漬物、ナン、チャパティやご飯、ヨーグルトでセットなっています。弁当の中身もだいたいこれと同じです。
ダッバー(Dabba, 弁当)
弁当はティフィン(Tiffin)と呼ばれる容器に入れられます。いくつかの入れ物を積み重なっています。この容器は日本でも売っています。
オペレーション:ITを使わないのにミスが起きない
時間が限られていて、多くの人が携わるにもかかわらず、弁当は毎日予定通りに目的地に到着します。ダッバーワラーは再現性が高く、ミスに対する耐性の高いシステムといえます。
●概要
弁当箱(ダッバー, Dabba)は複数のダッバーワラーの手を経て、顧客の家から勤務先へ届けられます。毎朝、ダッバーワラーは家々をまわり弁当箱を受け取り、それらを集積場所である最寄り駅まで運びます。そこで仕分けされ、目的地に応じて大きな運搬具に入れられます。その後、運搬具とともに列車で目的地に最寄り駅まで移動します。そこで弁当箱は再び分類され、別のダッバーワラーに引き継がれ、勤務先へ配達されます。弁当箱の移動距離は60-70キロメートル。毎日昼食前に的確に顧客は弁当を手にすることができます。午後、食べ終わった弁当箱は反対のルートで顧客の家に戻ります。配達は徒歩、手押し車、自転車、鉄道を活用して行われます。
毎朝運ばれる弁当の総数は20万個。往復するので、毎日合計40万個の弁当箱が動きます。週に6日、年間51週間、年間合計1億2240万個です。驚くことにミスはほとんど発生しません。オペレーションの指標であるシックスシグマ(*)の最高レベルです。この基準は誤配は1年間で420回以下である必要があり、ダッバーワラーはこれを満たしています。コンピューター、バーコードリーダー、POSシステム、RFIDなどのIT技術を使うことなく達成しています。
*シックスシグマ
80年代にモトローラが開発した品質管理システム。トヨタ、アマゾン、GE、3Mが最高レベルの「シックス・シグマ」を達成してます。ダッバーワーラーもシックス・シグマです。シックス・シグマの最高レベルを満たすためには100万回にミスは3.4回。
数字でみるダッバーワラー
- 取り扱い弁当箱総数:20万個/日(往復で40万個/日
- 稼働日:6日/週、51週/年
- ミス発生レベル:一年間1億2,240万個の配送で420個以下
- ダッバーワラー総数:5000人、200ユニット(25人/ユニット)
- 各戸での持ち時間:30〜60秒、最大2分まで
- 列車への積み降ろし:起点駅では40秒、途中の停車駅では20秒
- 一つの弁当箱の担当人員:最大6人
- サービス売上高:3億6000万ルピー (約5億1,000万円)
- サービス利用料(月額):500-600ルピー(約700-850円)
- ダッバーワラーの月収:12,000ルピー(約17,000円)
●十分なバッファとバックアップ体制、臨機応変な対応
配達はいつもスケジュール通りには進むとは限りません。ムンバイでは慢性的に交通渋滞が発生します。また、列車でのちょっとした遅れもいくつもあると、その後の工程の何千もの配達に影響します。そしてそれはインドでは簡単に発生する可能性があります。計画したスケジュールを維持するために、各グループには2人または3人の控えのダッバーワラーがいます。また、交通渋滞、鉄道の鉄道の遅延、悪天候などイレギュラーが発生した場合でも、臨機応変に対応することができます。
●ITやエネルギーの利用は最低限
今日、配達をよりよくするためのテクノロジーが使用されています。オンラインでの申し込み、アプリの利用、ダッバーワラーの中にはスマホを持って顧客や同僚とやりとりするものもいます。一方、費用対効果が重視され、費用のかかるテクノロジーやオートバイなどエネルギーのかかるものの利用は最低限に抑えられています。とてもエコなシステムでもあるのです。
世界水準のサプライチェーンシステムの成功の秘訣
インドの脆弱なインフラで、ITも使わずに世界のトップレベルのサービス品質をどうして達成できるのでしょうか?その理由はムンバイの鉄道網、かんばんシステム、ダッバーワラーの文化、システムの設計思想にあります。
1. ムンバイの鉄道網と地形:効率的な運用に最適な条件
システムの運用のカギとなるのがムンバイの発達した鉄道網です。インドの他の都市は、ムンバイのように効率的な鉄道インフラがありません。よって、このシステムを他の都市で再現するのは簡単ではありません。また、南北に位置する縦長の島という地形もこのシステムの発展を促しました。北部、東部の郊外の家々から弁当箱を集め、漏斗のように列車でエリアの決まった南部の中心部へ流し込むというイメージです。
2. かんばん方式:弁当箱に記載されたシンプルな記号
システム全体が正確に機能するためには、簡潔さは欠かせません。ダッバーワラーに作業マニュアルはありません。ではどうしているのか?ダッバーワラーは「かんばん方式」を利用しています。「かんばん方式」とはトヨタで発案されたジャストインタイムの実現において重要な役割を果たします。ジャストインタイムとは「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」調達するという考え方。その際に「かんばん」という商品管理カードを利用します。「かんばん」には部品名、品番、必要工程、必要数などが書かれています。「かんばん方式」には、「情報を統一化し、「見える化」して管理できる。それによりチームのコミュニケーションが円滑になる」というメリットがあります。
「かんばん」は工場の生産以外にもプロジェクトの管理にも使われます。ダッバーワラーの場合、弁当箱のフタが商品管理カードの役割を担います。基本的にダッバーワラーは弁当箱のフタに書かれた記号に従って行動します。
記号の意味
- 数字(中央):配達先のエリア
- 数字とアルファベット(周囲):担当ダッバーワラー、オフィスビルとフロア
- 色・形・モチーフ:起点の駅
加えて、顧客は弁当箱を小さなバッグ入れます。バッグの形や色によって、ダッバーワラーはどの弁当箱がどの顧客のものか記憶することができます。
3. ダッバーワラー:背景を共有する人材
このサービスに携わるダッバーワラーの総数は5000人。約25人で1ユニットを形成し、合計200ユニットからなります。各ユニットは独立した組織で、チームとして、指示に従います。
ユニットを構成するダッバーワラーは、ほとんど皆同じ背景を共有しています。文化、言語、職業倫理、食習慣、宗教的信念。同郷の出身者も多く、連帯感があります。
また、ダッバーワーラーのほとんどは文字を読むことができません。高等教育は受けておらず、特別なスキルも持っていません。彼らの仕事は、弁当箱に書かれた指示に従い、弁当箱をしかるべき場所で受け取り、しかるべき場所に届けること。運用システムが完璧なので、システムに従っていれば、文盲でも業務を遂行することができるのです。
ダッバーワーラー一人ひとりは個人事業主です。自ら顧客を開拓し、顧客と価格交渉を行います。多くのものは同じ場所で何年も働く傾向があるため、顧客と長期的な信頼関係を築いています。担当のテリトリーは指定されていません。同僚が担当している顧客がいるマンションであっても、そこで新しい顧客を探すことが奨励されています。一方、相互に尊重されているため、喧嘩したり、お互いの足を引っ張ったりすることはありません。義理と人情の文化があるのです。
採用について
ダッバーワラーは特定の人々のコミュニティ、特定のカーストや社会の特定の層からのみ採用されます。これは、一般の企業の採用とは非常に異なり、差別的であるかもしれません。しかしながら、労働者たちが一緒にちゃんとハッピーに働きつづけることが重要であるため、古くからの雇用慣行に従っています。この雇用慣行はインド固有のものですが、労働者の多様性やインドのような複雑な国で大規模な人々の集団を管理する方法などの点で示唆に富んでいます。繰り返しになりますが、インドには多様な文化、宗教、言語、カースト制、食習慣があります。インドに進出する企業はこれらのことを考えなければなりません。
4. システムの設計思想:均質性とシンプルさ
ダッバーワラーはほぼ同じようなバックグラウンドの人々から構成されるので、人材として見た場合、とても均質です。人材が均質である場合、システムの設計がしっかりしていればその効果は絶大です。ダッバーワラーはシステムの設計思想も優れています。シンプルさにこだわり、複雑なことをやらない。そして低コストと顧客満足の原則を守る。適切なシステムがあれば、運用に特別に優れた人材を必要としないことを示しています。
まとめ
ダッバーワラーはロジスティクスやサプライチェーンの管理、運用という点で好事例といえます。ハーバードビジネススクールでもオペレーションの事例として研究されました。日本の企業にとって学ぶところも多いと思います。
インドのように脆弱なインフラ、限られたリソースでも「かんばん方式」を利用して、オペレーションの管理をシンプルにし、これを適切に運用することで優れた成果を出せることを証明しています。また、同じような背景を持つ労働者が集まることにより、人材が均質になりました。
一方、日々の業務、工場の生産など、ものごとはダッバーワラーのシステムのようにはいきません。ダッバーワーラーの場合、労働者のタイプが均質であるから、システムが機能しています。企業が同じタイプの労働者を雇用しようとするとそれは差別になってしまう可能性があります。一様に熟練した労働者を雇用すること、および民族、宗教、文化の異なる、また高等教育を受けていない人材のマネジメントはインドでビジネスをする企業にとっては常に大きな課題です。