事例から学ぶ

ドローンによる撮影:Johnny Miller (millephoto)

ムンバイは世界で不動産価格がもっとも高い地域のひとつです。写真の手前は最も貧しい都市居住者のいるスラム街、後方は巨大産業と超富裕層の家のある超高層ビル。ムンバイは夢をかなえる街、また、不平等のある大都市でもあります。建設中の建物は開発とビジネスチャンスを証明してます。

大規模な事例

心地よく、慣れた環境の外での投資やビジネスを考えている企業にとって、過去の事例は重要なインサイトや学びの場となります。いくつか事例を取り上げますが、これらの企業の失敗を批判する意図はないことをあらかじめお断り申し上げます。私たちはすべての企業に敬意を払っています。事業開発は複雑なプロセスで、新しいビジネスは勇気と決断を必要とし、常に運と宿命をともないます。一方、市場調査、デューデリジェンス、プロジェクトの遂行は成功するための重要な要素です。紹介する事例は純粋に情報提供と知識習得を目的とするものです。

第一三共製薬とランバクシー(Ranbaxy)のケースは日本企業のインドでの投資において、最大の失敗例といえます。2008年6月、第一三共はインドの後発医薬品大手のランバクシーに合計約4884億円(US$4.6B)投資。しかし買収直後、ランバクシーの工場はアメリカFDAから虚偽のデータの提出のかどで調査対象となり、製品は輸入禁止措置となります。ランバクシーは必要な治験や保護手段や品質管理なしに後発医薬品を開発していたことが、内部告発により明らかになりました。

第一三共がランバクシーを買収した理由は有名な薬の後発医薬品が大規模で利益の見込める事業だからです。安く製造できて、利益率がとてもいい。当時アメリカの後発医薬品の40%はインドから輸入されていました。加えて、アメリカでのブランド薬と後発医薬品の薬の有効成分の80%はインドか中国からの輸入でした。そのため第一三共にとってランバクシーは事業を多様化させる大きなチャンスと映ったのです。

報道によると、ランバクシーはインドのサンファーマ(Sun Pharma)に吸収され、第一三共はサンファーマの株式の8.9%を取得。のちに3960億円(USD3.6B)で売却しました。第一三共は財務的には一連の取引でサンクコストのほとんどを回収しました。しかし第一三共は費用を事業の成長にうまく使うことができず、ほとんど回収したものの、時間と人的資源と機会費用を失いました。

第一三共がランバクシーに投資をしたときは新興市場に対する関心が高かったときです。第一三共は取引を急ぐあまり、多くの重要で肝心な情報を見過ごしました。情報のいくつかは隠れていたりはっきりしていないにもかかわらず、第一三共はディーデリジェンスを次の点で適切に行わなかったと考えます。

  • 繰り返し工場を視察し、有効成分や大きな規模で後発医薬品をテストすること
  • 頻繁にかつ詳細にコンプライアンスやアメリカの顧客レポートについてFDAとコニュニケーションをすること

第一三共には明確な目的があったようには思えません。また結果論として、何か良くないと思える多くの状況を見過ごしました。この取引は経営的な視点でのデューデリジェンスにおける失敗と言えます。さらに第一三共とランバクシーの争議は責任の所在という点で混乱を招き、これが事態を悪化させ、失敗を長引かせました。

第一三共は時間をかけて経営的な視点で評価を行い、後発医薬品について生物学的同等性試験と詳細な法的チェックを行っていれば、この不幸な状況を回避できたかもしれません。

苦い裁判沙汰に発展したもうひとつの有名な事例は、NTTドコモの2009年のタタ・サンズ(インドの大ビジネスコングロマリット)のテレコム事業であるタタ・テレサービス社への出資案件です。色々なことがうまく行かなくなったものの、NTTドコモは26%の株式を取得するために出資した2600億円(US22億ドル)のうち約410億円(US390百万ドル)を返還の確約を得ました。その合意により、NTTドコモはその金額を取り戻し、さらに、プロジェクトの拡大やインドでのJVに投資する予定の830億円(US790百万ドル)を回収しました。NTTドコモは初期投資額の50%超をかろうじて取り戻すことができました。

これら2つの大規模で複雑な事例から学ぶことはたくさんあります。

一般的な見方

戦略を立てるのに時間をかけすぎて実行に移すタイミングを失うケースがあります。近年、日本企業は中国やインドネシアやその他の国へ注力し、その日系顧客対応で多忙を極めました。でも、競合相手と市場は待ってくれません。機会を創造するという意志をもって取り組み推進するのは御社自身のためなのです。

個々の企業にとっては市場は限定的な場合も

インド市場はその人口を見ると大きいかもしれません。でも、多くの日本の製品にとって実際の市場規模はそれぞれのセグメントによって異なります。例えば、チョコレートの「ロイス」や洋菓子の「ヨックモック」はインドに進出しています。そのターゲットは伸びているニッチな上流層のマーケットです。「無印良品」もインドに進出していて、現地調達をしてからも、多くのテストマーケティングを行っています。一方、その商品の価格はハイアッパーミドル層に向けられたものです。その結果、ほどんどのインド人は「無印」の商品を買うことはできずに、現地の他の製品をさがします。

よって、市場規模、価格、市場の選定、適切なマーケティング戦略をしっかり行う必要があります。この分野にある程度の費用をかけて、ネットワークを活用しマーケットにアプローチする戦略を練りましょう。一度進出すると決めたら、より深く広い知識をもって、速やかに事業を立ち上げるべきです。

なぜマルチ・スズキ(Maruti Suzuki)は成功したか?

スズキがインドに進出したのは早く、乗用車市場の初期という絶好のタイミングでした。ヒンダスタン・モーター社(Hindustan Motors)のアンバサダー(Ambassador)やフィアットのライセンスの元で作られたプレミア・パドミニ(Premier Padmini)などの車種しかない時代でした。それ以外は自転車、人力車、スクーター、オートバイ、トラックやバスでした。もちろん牛もたくさんいました。乗用車は富裕層向けで外国車はインド市場には本格的には入って来ていませんでした。Maruti 800はスズキのインドでの最初の小型車であり、2輪からアップグレードするのに最適な車でした。インドのコンシューマーニーズに完全にマッチしました。

はじまりは1980年代初頭。ネルー・ガンジーファミリー(Nehru Gandhi family)のインディラ・ガンジー(Indira Gandhi)の息子のサンジェイ・ガンジー(Sanjay Gandhi)の肝いりのプロジェクトとして、マルチ・スズキは優遇されます。大衆車を開発するために、希少な資本財の使用、製造制限の緩和など国有化のための現地のリソースに正式にアクセスできる優先企業となりました。さらに競争から保護されました。市場が外資に開放されるときまでにマルチ・スズキはインドでの礎を築きました。

スズキは小型車(軽自動車)市場に注力しました。とりわけリーズナブルな価格の車種を人々が買いやすいようにと市場に投入。部品はインドの価格を抑え、国内どこでも簡単に手に入るようにしました。そして現地企業やパートナーとも上手に協業しました。事実、スズキは長年に渡り現地でモノを育てました。これが成功のカギで、パートナー企業は拡大成長して、大きなグローバルな自動車部品サプライヤーとなりました。

その工場はとても稼働率が高く、発展中のインドの大規模な市場ニーズを満たすために最適化されました。

スズキは2013年にマルチ・スズキの持ち分を56%引き上げました。インドはスズキにとって最も成功した市場ととらえることができます。また、今日、インドでとても大きなシェアのある最も認知されているブランドの一つです。

スズキについで、韓国のヒュンダイ(Hyundai,現代自動車)もまたマス向け小型車を生産し、上手な価格設定ととても効果的なマーケティング戦略で展開しました。ヒュンダイの車種は重要な機能は全部込みで、基本価格に含まれるように設定しています。これはインド人が必要な機能はオプションでなく、全部込みを求めるからです。ヒュンダイはインド人消費者にとっては信頼できるブランドで、デザインも広く受け入れられています。今日、インドではヒュンダイはスズキについで大きなシェアをもっており、インドはまたヒュンダイにとって生産と輸出を行う大きな市場でもあります。

スズキはコネクテッドカーと電子化技術の点で弱く、トヨタがインドにおけるスズキの技術パートナーとなるでしょう。トヨタはインドで大きなシェアを占め、スズキがインドの自動車の未来へ向けて移行するのに寄与するでしょう。

現地での問題解決方法(コスト削減について)

事例

日系機械製造A社は、重要で精密なコンポーネントは日本で組み立て、基本部分の製品だけをインドの顧客に販売します。備品のデザインや備品や治具の製造はバンガロール(Bangalore)にある現地企業が、オートメーションはプネ(Pune)の現地企業が担当します。完成品引き渡しはインドで行われます。双方の国の強みを活かし、上手にコストを管理しています。こういったことが可能です。

ドイツ系機械商社B社は、重要な精密コンポーネントはドイツから輸入し、それ以外はインドで調達します。インドで調達するのは手に入る日系のコンポーネントであったり電子部品であったりします。そしてインドで完成品に組み立てます。また、試験や試運転、維持管理はすべてインドで行われます。これにより技術者の宿泊費や出張費、マーケティングに関する長期的な費用を大幅に削減できます。

日系日用品メーカーC社は、中国、インドネシア、タイ、ベトナムで生産したものをインドのパートナーを通して販売し、コスト削減を図っています。原材料の費用は東南アジアや中国がリーズナブルです。しかしこの戦略では為替変動や政治的なリスクがともないます。経済政策は変わるかもしれませんが、インドでの現地生産の立ち上げる前の第一歩としては有効です。

現地のマーケットのニーズを理解し、インドやその近隣諸国向けの仕様の製品を作る。これは企業が現地でブランドを確立させるための小規模で、具体的なアプローチです。また一つか二つの小規模なプロジェクトから始めることによってノウハウを守り、徐々に大きくしていく方法でもあります。現地仕様はインドのその業界や市場の専門家との会話、あるいは市場調査を通して開発することができます。研究開発は日本で行い、設計図が承認されれば、インド市場向け仕様の製品はインドでその一部が製造され、インドですべて組み立てすることができます。

これまでに述べた個々の方法論では、信頼できるパートナーと長期的な視点でのアプローチが必要となります。しかし、コストメリットをエンドユーザーに訴求すれば、現地のマーケットで勝つことができます。そしてそれは現地のし上で自社のブランドの市場価値の改善につながります。

大切なのは、インドを単にインド単独市場のみと捉えるのではなく、「インド製(Make in India)」という政府の新しい政策とイニシアチブのもと、中東、アフリカ、スリランカ、アメリカやヨーロッパへの輸出拠点として活用すべきです。インドの人材、才能のある人々、民主的な利点を活かし、インド市場の先にある市場にも焦点を当てましょう。広い視点でのアプローチをとることにより、さらなるリスクヘッジができ、よりバランスに富んだ戦略を推進することができます。

例えば、「ダイキン」はインドでエアコンのユニットを作っています。そしてインド市場で付加価値をつけ、中東やアフリカ市場を開拓し、その市場向けにも開発、生産を行っています。これは「インド製プラス戦略」としてリスクマネジメントと企業のリソースの活用の好例といえます。

インドで成功するチャンスを増やす8つの重要なポイント

  • 自らの強みを見つけ出す
  • 競合相手を知る(外国企業およ現地企業)
  • 顧客が何を求めるかをしっかりとらえる
  • 市場進出のための戦略を練る
  • 現地の良いパートナーを活用する(信頼を構築する)
  • パートナーについて法務、財務のデューデリジェンスを行う。さらに真にパートナー、本当のヒトを知るために経営的な視点でのデューデリジェンスを行う
  • 現地で解決策を生み出し、現地化を行い、現地にあった製品を製造する
  • そして、現地化し、インドをグローバル化の拠点と捉え、インドの人材、若者、スキルを活用する

インドは若い生産年齢人口も多く、教育可能な才能のある技術者がいて、巨大な市場です。また、インドを製造のハブにするという国のトップのビジョンもあります。

現地で解決策を生み出す努力をしている日本企業は極めて少ないのが現状です。多くは、日系企業のみ相手にしているか、インドという価格に敏感な成長している市場にとって極めて高額な部品や製品を供給しています。

日本企業は高い技術と資本力があるにも関わらず、ノウハウが盗まれる心配をしたり、騙されるかもしれないと考えて、インドで本当に戦うための現地化を行っていません。心配するのは理解できるのですが、リスクヘッジをしたり、現地のリソースを活用することにより日本側の権利を守ることができるのです。

最後になりますが、コミュニケーションや特に英語を恐れていてはインドでのプロジェクトに最も適した人材を雇用することはできません。単に英語が話せることができても、ビジネスを推進するための効果的なコミュニケーション能力があるということではありません。

英語は単なるコミュニケーションの道具にすぎず、ビジネスではないということを覚えておいてください。

日本とインドはお互いに本当に多くの共有すべき点と利点があります。インドの人材とスキル、日本の規律と技術、二つの偉大な文化が双方の国の経済成長を助けるための橋渡しとなるでしょう。